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秋田地方裁判所 昭和59年(ワ)133号 判決 1985年9月03日

原告

菅原キヨ

被告

株式会社和光

主文

一  被告は、原告に対し、四九九万九三九八円及びこれに対する昭和五六年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一二六七万三八〇〇円及びこれに対する昭和五六年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の長男亡菅原留雄(昭和五年二月二日生れ)(以下「亡留雄」という)は、左記交通事故(以下「本件事故」という)により昭和五六年一一月一日死亡した。

(一) 日時 昭和五六年一〇月一九日午前一時五五分

(二) 場所 秋田県南秋田郡飯田川町飯塚字塞ノ神八九の一番地先県道上

(三) 事故の態様 被告の従業員阿保稔(以下「阿保」という。)は、普通貨物自動車(青一一あ三一七九号)(以下「加害車」という。)を運転して、事故現場県道を能代方面から秋田方面に向け進行中、前照灯を下向きにし前方の照射が不十分な状態のまま、制限速度を約二〇キロメートル超えた約七〇キロメートルの速度で走行し、かつ前方の注視を怠つたため、折から右県道を左から右に横断中の亡留雄の発見が遅れ、同人に自車を衝突させて約二六メートルはね飛ばし、膵被膜内出血、腸間膜損傷、肝損傷の傷害を負わせ、同年一一月一日死亡するに至らせた。

2  被告は加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の責任がある。

3  亡留雄の死亡により原告の受けた損害は次のとおりである。

(一) 慰謝料 五〇〇万円

原告(明治四二年一月二五日生れ)は亡留雄の母であるが、昭和三四年亡留雄が妻キノと離婚して以来、事実上一家の主婦として、亡留雄及びその長男和久(昭和二九年一月生れ)と同居してその世話をし、家事一切を切り盛りしてきたのであり、今亡留雄を失い、また留雄の死とともに和久も原告のもとを去り、深い心の痛手を受けているのであつて、その精神的苦痛を慰謝するには七〇〇万円が相当である。ただし、うち二〇二万五四〇二円は自賠責保険からすでに支払を受けている。

(二) 扶養請求権喪失による損害 六六七万三八〇〇円

亡留雄は本件事故当時、株式会社日誠土木で働いていたが、その収入は一日当たり九三五八円であつたから年収三四一万五九〇〇円、就労可能な六七歳までなお一四年間労働して右収入を得ることができた。

ところで、原告は、亡留雄と同居し、平均余命の一〇・七五年、留雄の収入により扶養を受けることができたはずであり、その額は少なくとも一か月七万円を下るものではないから、留雄の死亡により原告が失つた利益は六六七万三八〇〇円となる。

7万×12×7.945=6,673,800

ちなみに、亡留雄には離婚した妻との間に、前記和久のほか、入江トキ子(昭和二七年二月生れ)、工藤厚子(昭和三一年一月生れ)がいるが、トキ子、厚子は右両親の離婚とともに留雄のもとを去り、その後は全く没交渉のままできており、これらの者が単に形式上法定相続人というのみで亡留雄の損害賠償請求権を相続するとすれば、正に「笑う相続人」となるのであり、留雄の死による真の被害者が原告であることは明らかである。

(三) 弁護士費用 一〇〇万円

4  よつて、原告は被告に対し、請求の趣旨掲記の判決を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1(一)  請求原因1、(一)、(二)は認める。同(三)のうち、阿保に前方不注視の過失のあつたこと、留雄が左から右に道路を横断中であつたことは否認し、その余は認める。亡留雄は当時酒に酔つて、車歩道の区別のある右県道上をふらふらと蛇行しながら歩いていたのであつて、重大な過失がある。

(二)  同2は認める。

(三)  同3のうち、原告に二〇二万五四〇二円が支払われたこと及び原告らの身分関係は認めるが、その余は不知ないし否認する。

2  被告は、右原告に対する二〇二万五四〇二円のほか、留雄の子供であり、その相続人であるトキ子ら三名に計二六三〇万〇〇〇五円を自賠責保険を含めて支払つているのであり、右の者らは原告の孫としてその法定扶養義務者に当たるのであるから、原告の扶養請求権の侵害はありえない。また、原告には、右のほかにも法定扶養義務者がおり、原告はその者に財産を売却したりもしているのであつて、原告は扶養を受ける必要がなく、仮にその必要があるとしても、右扶養義務者から扶養を受ければ足りるのである。

三  被告の抗弁等に対する認否及び主張

1  亡留雄に重大な過失のあつたことは否認する。同人に過失があつたとしても、その程度はせいぜい五パーセント位のものである。

2  本件事故による損害賠償として二六三〇万〇〇〇五円が支払われていることは認めるが、前記請求原因で述べたとおり、亡留雄の相続人であるトキ子らは留雄とは事実上無関係であつた者であり、留雄の死亡によりもつとも被害を受けているのは原告であるから、被扶養者であつた原告の権利が右相続人らの権利に優先するのであり、被告(代理人である大東京火災海上保険株式会社)はこのような事情を十分知つたうえで右相続人らに支払をしたのであつて、右支払をもつて原告にそれを対抗できない。

第三証拠

本件書証目録、証人等目録に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  亡留雄が原告主張の日時場所において本件事故により受傷し、昭和五六年一一月一日死亡したこと、被告が加害車の運行供用者であること、原告が自賠責保険から二〇二万五四〇二円の支払を受けていること、留雄の子供であるトキ子らに計二六三〇万〇〇〇五円の損害賠償金が支払われていることは、当事者間に争いがない。

二  被告は、亡留雄にも大きな過失があつたと主張するので、まず事故の態様につき判断するに、成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一ないし九、第三ないし第六号証、第七号証の一・二、第八・九号証、第一〇号証の一ないし五、第一一ないし第一六号証によれば、

阿保は昭和五六年一〇月一九日午前一時五五分ごろ、加害車を運転し、秋田県能代市方面から秋田市の方に向け、時速七〇キロメートル位の速度で、幅員八メートル位の本件事故現場付近道路の左側部分を南進中、深夜であるうえ、小雨が降つており、見通しが不良の状況にあつたのであるが、同所付近の交通量が少なかつたため、制限速度五〇キロメートルを二〇キロメートル位超過し、かつ加害車の前照灯を下向きにしたまま、事故現場にさしかかつた際、進路前方二四メートル位の地点に道路を左から右にフラフラと歩いて出てきた亡留雄の姿を認め、急制動をかけるとともにハンドルを右に切つたが、及ばず、亡留雄を自車前部に衝突させて三一メートル位も同人を跳ね飛ばし、原告主張の傷害を負わせ、同年一一月一日死亡させるに至つた。

一方、亡留雄は、事故の前日である一八日午後六時ごろから、事故現場に近い親戚の家で振舞い酒を飲み、同日午後九時ごろ同家を出て帰途に就いたが、その後本件事故に遭うまでの同人の行動は全く不明のままである。なお、右親戚の家を辞去した当時の留雄の酔いの程度はそれほど深いものではなかつた。

以上の事実が認められ、右事実によれば、加害車を運転していた阿保に前方不注視(前照灯を下向きにしていたことも含む)、速度違反の過失があることは明らかであるが、留雄にも、少なくとも進行してくる車両の有無及びその動向を確認せずに加害車の進路前方に出た落度のあることは否定できず、右過失の割合は阿保が七五、留雄が二五と認めるのが相当である。

三  そこで、損害につき検討する。

1  慰謝料について

前掲乙第九号証、成立に争のない乙第二八ないし第三三号証、第三六号証、証人菅原和久の証言、原告本人供述によれば、

亡留雄(昭和五年二月二日生れ)は、生前田二反位、畑六反位を耕作し、農閑期には東京方面に出稼ぎに行き生活をしていた者であり、同居していた家族には、母である原告(明治四二年一月二五日生れ)、長男和久(昭和二九年一月二日生れ)がおり、原告が事実上の主婦として留雄らの世話をしてきた。

亡留雄は、昭和二七年二月、菅原キノと結婚し(戸籍上、同女とは昭和二八年八月一日離婚しているが、昭和三〇年二月再び同女と結婚したことになつている)、同女との間に長女トキ子(昭和二七年二月五日生れ)、長男和久(昭和二九年一月二日生れ)、二女厚子(昭和三一年一月六日生れ)が出生したが、昭和三四年一一月、キノに男が出来たため離婚し(原告は、右離婚した妻の名前をマツノと述べているが、キノの誤りと思われる。なお、マツノは、留雄がその後昭和三八年一月に再婚した女性であるが、同女とも離婚している)、その後は原告が主婦兼母親代わりとなつて留雄や子供らの世話をしてきたのであるが、やがて二人の女児はいずれも母親のもとに去り、留雄が死亡するまで一〇余年間、全く音信不通のままとなり、ただ一人長男和久のみは原告のもとに残り、高校を出て成人し、現在、原告の住所地にある消防署で消防士として働いているが、留雄の死後、留雄の弟である叔父との間で、留雄の遺産の帰属等について意見の対立が生じたこともあつて、昭和五七年一二月には原告方を出て別居している。

なお、原告には、留雄のほか、一男三女の子供がいるが、いずれも留雄生前中に独立別居しており、原告としては、家を継いだ長男の留雄の世話になるつもりでいたが、留雄が死亡し、孫達も離れてしまつたため、他の子供の世話になるよりほかに方法がなくなつている。なお、原告は現在入院しており、高齢年金として年二六、七万円を受けている。

以上の事実が認められる。

右認定の原告の立場等のほか、本件事故の態様、結果、過失の程度等一切の事情を考えると、亡留雄を本件事故により失つた母親の原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は三〇〇万円をもつて相当と認める。

2  扶養請求権喪失による損害について

被告は、すでに亡留雄の相続人である子供三人に計二六三〇万〇〇〇五円を支払ずみであり、同人らは原告の法定扶養義務者でもあるから、原告の扶養請求権の侵害はありえないと主張し、右三名の者と被告との間で示談が成立し、右金額が支払われたことは(右金額の支払の点は当事者間に争いがない)、前掲乙第二八号証、成立に争いのない乙第一九ないし第二六号証、第二七号証の一、第三四号証、証人菅原和久の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる乙第一七・一八号証、証人横溝敏雄の証言により、これを認めることができる。

しかし、右各証拠によれば、前記認定のとおり、原告が亡留雄と同居して同人に扶養されていたことは、右示談の成立した昭和五九年六月一八日当時、被告(被告を代理して右留雄の相続人らと示談を成立させたのは大東京火災海上保険株式会社であるが)も認めていたこと(ちなみに、亡留雄が本件事故当時扶養していた者は原告のみであつた)、亡留雄の子供である和久ら三名のうち、少なくとも和久を除く二人はすでに長年月の間、原告はもちろん父親である留雄とも没交渉の状態であり、右二人については、留雄の死亡により損害金が同人らの手に入るなどということは恐らく考えてもみなかつたはずであると思われること、右示談交渉においては、損害金を原告と右三人の子供で四分の一ずつ分けるという案が出されていたが、最終段階において、原告(その代理人として留雄の弟の留吉が右交渉に当たつていた)がこれに反対し、昭和五九年四月六日には、原告から本訴が提起されるに至つていること、それにもかかわらず、被告は右三人の子供の求めに押されて、その後右示談を成立させていることが認められるのであり、右事実によれば、原告は亡留雄が死亡当時、要扶養状態にあり、また亡留雄もこれを扶養するだけの能力を有していたことは明らかであり(被告は、原告は留雄の死後、不動産を売却しており、すでに要扶養状態にない旨主張し、前掲乙第三一ないし第三三号証をその証拠として提出するが、前掲菅原和久証言によれば、右事実はこれを認めることができない)、したがつて、原告は留雄の死亡により右扶養を受けることができなくなり、失つた扶養に相当する金額を損害として被告に賠償請求することができるというべきであるところ、原告は留雄の子供ら(原告にとつては孫に当たる)とはすでに肉親としての交渉は途絶えており、法律的にはともかくとして、事実上同人らから扶養を受けることを期待することはおろか、同人らが被告(自賠責保険を含む)から受領した損害金のうちから原告の取り分の返還を受けることすら期待することはできない状態にあり、被告は前記示談に際して右事実を知つており、かつ、原告が右示談に反対して本訴を提起しているにもかかわらず、原告の意向を無視して留雄の相続人である子供三人のみと示談を成立させているのであつて、このような場合には、被告がすでに被害者の相続人である右子供らに対し損害金を支払つているとしても、これをもつて、原告の損害賠償請求に対抗することはできないといわざるをえない。

そこで、原告の右損害額を検討するに、原告本人供述及び同供述により真正に成立したものと認められる甲第三号証、前掲菅原和久証言によれば、亡留雄は、前記認定のとおり、農閑期に出稼ぎに行き、一か月一二、三万円位を留守宅に仕送りしていたこと、亡留雄の右出稼ぎ中における収入は一日九三五八円位であつたこと(ただし、これから社会保険料や寮費等が控除されることになつていた)、現在、原告は老齢年金として年二六、七万円位の支給を受けていることが認められるのであり、右事実によれば、亡留雄は死亡当時五一歳であつたから、少なくとも原告主張のとおり、あと一四年は働くことができ、その間、低く見積つても一か年三〇〇万円程度の収入を得ることはできたはずであり、したがつて、原告は留雄の右収入から(正確には、右のうち四〇パーセント位は留雄の生活費に費消されるとしてその残余から)一か月五万円相当の扶養を受けていたと認めるのが相当であり、留雄死亡当時、原告は七二歳であり、日本人の平均余命からしても、なお一〇年位は生存して右扶養を受けることができたと考えられるから、右期間の扶養相当額は、

50,000×12×7.944=4,766,400

四七六万六四〇〇円となるが、これから前記過失割合を考慮すると、原告の右扶養喪失による損害額は、

4,766,400×0.75=3,574,800

三五七万四八〇〇円となる。

3  既払分について

原告が自賠責保険から二〇二万五四〇二円の支払を受けていることは、前記のとおり当事者間に争いがないので、右1、2の損害計六五七万四八〇〇円からこれを控除すると、右損害賠償額は四五四万九三九八円となる。

4  弁護士費用

原告は、被告に対し、右四五四万九三九八円の損害賠償請求権を有するところ、被告が任意にこれを弁済しないために、原告がその訴訟代理人内藤弁護士に本訴提起と追行を委任したことは本件記録により明らかであり、本件事案の難易、請求認容額等一切の事情を考慮すると、本件事故による損害として被告に賠償させるべき弁護士費用の額は四五万円をもつて相当と認める。

四  よつて、原告の被告に対する本訴請求は、右損害合計四九九万九三九八円及びこれに対する本件事故により亡留雄が死亡した日である昭和五六年一一月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 福富昌昭)

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